ごりらコンサート
工藤直子さんの朗読
新沢としひこさんの歌
あべ弘士さんの絵
で構成されるゴリラはごりらコンサートの最終回、ごりらFOREVERに、行った。
すーごかった。
詩と、歌と、でっっっかい絵が、3方面からぶつかってきたら、自分がぼろぼろ涙を流すことを初めて知った。
泣いてから知った。
コントみたいに自由奔放な工藤直子さんとあべひろしさんを、やさしい調子でちゃんと言いたいこと主張する新沢さんがまとめてマーブルみたいに一緒になって、
工藤さんのおちゃめな無茶ぶりや返答に、連続で腹を抱えて笑った直後に、これまたしーんとした中で始まる工藤さんの低い声音にぐいっと持ってかれて、新沢さんのピアノが入るともう何かを考える前にぽろぽろぽろぽろ泣いてる自分がいた。
そしてまた、涙が乾かないうちに、おなかを抱えて笑わされてるのは、自分だけじゃなかった。
「ワニにね、申し訳ないと思って次の日謝りに行ったの。
そしたらね、夕日に光る目の瞳孔が、いつもの縦一本じゃ無くってまんーまるだったの。
」って言って朗読を始めた詩の最初は、
「泣くなよなあ。」
「飼育員の友達いないなあっと思ってさ。」って壇上で話したのと同じ顔で
「アーチェリーやってる友だちいないんだよ。友だちになってよ。」
って13歳ににかっと笑う81歳に、私もなりたいと思った。
すっげえかっこよかった。
気恥ずかしくて横を見られなかった、私の隣で涙をお母さんは
何を考えてたのかな。
終わった後に、「うちの子ぎつね」って言われたの、
ほんとはすごい嬉しかったよ。
『しゅっぱつ』
むねをはって つんつん青空をつつき
風船は言うのだ
ぼく これから「この世の果て」
にいってくるからね
あんた 泣かないで ぼくを待っててね
わかれる というのは・・・・
手をはなす というのは・・・・
じつにじつに むずかしいなあ と
風船の糸のはしを握りしめるのだが
風船には風船の言い分があるのだ きっと
だから わたしは
さびしいけれど 元気よく
いっておいで! と手をはなす
かなしみだって
空に浮かべば 光ってくるさ
留学も、実家を出るのも、成人式も、20歳の誕生日も
思い返せばなんの感傷もなく、こんなもんかが大概の感想だったけど
来た道を振り返ってみたら、思っていたよりもずっと長い、ずっとでこぼこの山道がずうーーーーーーーっと続いていて
時々頭に出てくるワンシーンは、もう戻ってこないんだなあって
自分への嫌悪をお母さんにそのままぶつけるしか方法を知らなかった中学生の時も
そんなめんどくさいけんかの最後に結局必ず、あきれながら愛を示してくれたお母さんも
気付かないうちにわたしっていう風船のひもは、
もう誰も持っていなかった。
ああーーーー、やられたな。(笑)
これが今夜の感想です。
"感動"や"パワー"をもらいに来る気はさらさらなかったのに。
3人が3人とも、ひょうきんな顔をしながらがつんと心臓を鷲摑みにしていって、そしてまた何食わぬ顔で、ま、今回でおしまいだけどね、って言っちゃう
あっちへこっちへジェットコースターのように感情をフル稼働させられた夜だった。そしてそれが心地よかった。